
友人であり言葉の人、涼子との対話の中で、
「密度」という言葉の奥行きに触れた。
それは静と動、沈黙と力強さを併せ持つ、不思議な感覚。
密度とは、目に見えない建築。
存在と不在の間に張られた静かな緊張。
空間を住まうこと、呼吸すること。
光を通し、重さではなく支えとなる。
土壁のように、骨のように、生きている構造体。
料理もまた、空気・火・水・土という四つの要素で築かれる建築。
密度を追い求めながら、私たちは時に強さや派手さと混同してしまう。
けれど本当の密度とは、余白と沈黙、動きと静けさの間にひっそりと息づいているもの。
言葉にしないもの、光が差し込む隙間、
そこに料理という行為の本質が宿るのかもしれない。
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下には、肝を忍ばせた鮑のポワレと花ズッキーニ、
海藻と発酵トウモロコシのピュレ、
サフラン香る「海の水」。
